授業力アップ 学級経営の話

現職の小学校教員30年の経験から学んできたことを紹介します。
授業力や学級経営について参考になれば幸いです。

平和学習②幻の甲子園 戦時下の球児たち

🔴平和学習②幻の甲子園 戦時下の球児たち


◯夏の甲子園を見て、球児たちの熱いプレーに魅了されている人も多いかと思います。


◯今年は、特に第100回の記念大会で盛り上がっています。


◯1915年に第1回大会が開催されてから、2018年までの104年間に開催出来なかった年があります。


◯1918年の第4回大会は米騒動のために中止になっています。


◯そして1941年の第27回大会は、地方予選の途中で中止となっています。日中戦争が激化し、鉄道は軍事物資の輸送のために使うもので、大量の民間人の移動には使えない事が主な理由だったとのことでした。


◯この2回は、100回の中にカウントされています。


◯1943年、1944年、1945年は戦争のために開催されていません。


◯1942年に「幻の甲子園」と言われている大会が開かれていますが、記録としては入っていません。


◯この大会は、戦意高揚を目的として、軍主導で行われました。


◯当時、野球は敵国のスポーツとして見なされていたために軍部の圧力もあり、多くの野球部が廃部に追い込まれてしまい、参加校は16校でした。


◯スコアボードには「勝って兜の緒を締めよ 戦い抜こう大東亜戦」という軍事スローガンが掲げられていました。


◯ユニフォームのロゴは、漢字のみを使いローマ字は禁止されました。


◯試合開始のサイレンは鳴らされず、進軍ラッパが代用されていました。


◯また、出場校の「選手」は「選士」と呼ばれ、「打者は球をよけてはいけない。球に当たっても死球にならない」という特別ルールが採用されていました。


◯突撃精神に反する行為として、ボールを避けるな、銃弾でもない野球の球が当たったぐらいでなんだという事だったようです。


◯また、原則として選手交代は認められていませんでした。怪我をしても死力を尽くして戦えという事です。肩を痛めても投手は投げ続けなければならませんでした。

◯さらに選手はエラーしたら、軍人から「戦場では失敗は許されん」と殴られたそうです。


◯出場した「選士」たちは、その後戦場に送られて、尊い命を失っています。


◯「幻の甲子園」は、テレビのドキュメントや書籍にもなっています。


◯平和だからこそ、純粋に野球を楽しめることを子どもたちに考えさせる教材となるはずです。




◯このような平和を考える教材は、たくさんあります。子どもたちにヒントだけ出して、自分たちで調べていく方法もあれば、教師が提示して授業で使う方法もあります。




◯今の甲子園大会とどこが違うのかを考えさせます。また、なぜ死球がなかったのかなどの疑問も出てくるはずです。子ども自身に考えさせることが大切です。



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